ゴルフのこと・・・。
 
 もう、ゴルフを始めてから8年くらい経つ。
いっこうに上達しないが、このお遊びは好きだ。

 オイラのことを知っている昔の仲間は、「考えられん」と皆、口を揃えて言うくらい、人相風体に似合っていないし、始めるまでは、広大な緑の中で小さい玉をコロコロ追いかけるだけのスポーツに何の興味もなかったし、年寄りの遊びだと思っていた。

 しかしながら、会社での付き合いも出始め、仕方なくチャレンジ・・・。

が、これまたなんとも奥が深い。
 人生、性格、仕事の仕方、感情のコントロールを全て自分に置き換えることが出来る事に気が付いた。

ー悪いライからでも当たり前に打てるようになれー

 もともと、ゴルフには「在るがままに打て」と言うルールに乗っ取った大前提がある。

 しかし、ゴルフ場の一部や個人的なコンペ等においては、ローカルルールと称して、6インチプレイスと言うものが認められている。
 ゴルフボールを打ち、ボールが止まった場所で6インチだけ動かしてよいのだ。
 結構おっさんゴルファーやビギナー、ゴルフを遊びにしている人はこのルールを公然と使う。
 オイラはこのルールは好きではない。

 このルールを使う最大のメリットは、ボールの状態を常にその場で有利な状態に出来るということだ。
 デメリットは一度手を使って、このルールに乗っ取り、ボールを動かし今ある状況を最高の条件にしてしまうと、次からはどんな状態でも最高の場所を選びたくなり、今の状態が最適で在るにも拘らず、疑心暗鬼になってしまうことだ。
 (ボールの置かれている状態をライと呼び、このルールはライの改善と言う)

 生きていく上で、最善な状態でいることは殆どない、必ず、何か困難な状況に陥ったり、苦しんだり、決断を迫られたりすることの方が多い。
 しかし、その都度自分の勝手で、困難な状況に陥ったときにライの改善が出来るだろうか?
 他人に頼ることも出来るかもしれない、誰かが手を差し伸べてくれるかもしれない、しかし、人生のライの改善を一度たりとも手を出してしまえば、次の困難に直面したとき、前回よりもいい状態のライを探したくなるはず・・・。
 それは決して人間的な強さにならないだろう。

 今の子供たちが抱えるさまざまな問題は、大人社会が子供たちのライの改善をしすぎているように思える。
 一度使ってしまえば、子供たちが何処に最高を求めるかわからなくなることも知らないで・・・。
 
ー決断を迷わないー

 ゴルフコースも各地によってさまざまで、右曲がり、左曲がり、打ち上げ、打ち下ろしのホールがある。
 グリーン上に立っているピンの場所や、風向き、自分の持ち玉によって攻め方が変わる。

 ピンに向かって打つ方向と、スィングの方法、どんなクラブで打つかを決断しボールに向かうが、必ずそこには不安が付きまとう。
 そんな時は必ずと言っていいほど、ミスショットをする。
自分で決めたことをその場に行って、もしかしたらさっき選んだクラブの方がよかったのではないかと思い、その精神状態でスィングするからだ。
 不安は必ず、体に出る・・・。
そして何より、失敗したときのショックはでかい。

 縦しんばナイスショットだったとしても、達成感はあまりない。
 人間はいい加減なもので、もう次のことを考えるから。
 
 普段の生活でも、岐路に立たされることがある。
選択肢を選んだとき、「もしかしたらあっちの方がよかったかも」
と悩む時があるが、その時点でミスが待っている。

ー次の準備しろってー

 ゴルフに行っていて、パートナーで一番頭に来るのが、第2打地点にいても、クラブを持っていない奴がいることだ。
 会社の同僚に限ったことではあるが、こんな奴は決まって使い物にならない。
 自分の飛距離が少なくとも分かっていれば、次にしなければいけない事が分かっていなければいけないのに、その場に行って「ああでもない、こうでもない」と思案し、キャディーさんにクラブを持ってこさせる。
 待っているパートナーのことも、お構いなし。

 こんな奴が、仕事を進めていく上の諸問題を考えられるはずもなく、
第一人のことを考えられなくなっている時点で、どうなのよっ!ってことになる。

 まだまだたくさんあるが、読んでもおもろないだろうからこの辺にする。
 精神修行の足りないオイラにはお寺に行くよりも自分を見つめ直せるスポーツだと思っている。

 御託を並べたが、コースを一回りして帰ってくるときは、必ずブルーになっているオイラはまだまだ修行がたりんっ!(笑)
2007.01.29 この国
最近嫌なニュースをよく見聞きする。

 どこそこのだれそれが、これまた誰それをバラバラにしただとか、
子供が好きなお菓子に虫が入っていただとか、議員さんが口を滑らせちゃったとか・・・etc
 飽き飽きする以前に、何だろう?やるせなさを感じる・・・。

「憂い」

あまり最近じゃ、会話の中で使わない・・・。
言葉に出すことも少し恥ずかしいかも・・・。

大局で別ければ“心配すること”らしい。

 企業の製品であったり、政治家さんであったり、マスメディアだったりは人々に対する「憂い」を使わなく(思わなく?)なったのだろうか・・・。

 企業の製品は開発・製造され世に送り出されるもののほぼ大半は、
「人」が使うもの。
 政治家さんが議論を戦わせ東奔西走することも、「人」または「国家」に安全・安心を与えること。
 マスコミが垂れ流す莫大なる情報も、それを使うのは「人」

 エンドユーザーはつまり我々だ。

 不幸になりたい人も、悲しい思いをしたい人は誰もいないはずなのに
最近のニュースはどれもこれも「憂い」に欠ける。

 こんなことしたら、あんなことしたら・・・。
自分の家族や大事な人が悲しまないか?
めぐりめぐって自分の身の上に災いがこないか?
人を苦しめていることに気付いていないんじゃないか?

心配する=憂いる

なぜに一対で考えられない・・・?

 自分たちだけ良ければ良いという社会ではない。
企業も、政治も、マスコミも世の中全部「人と人」で繋がっていることにもう一度気がついて欲しい。

 人が人を憂いる事は、「優しい」になるから・・・。
2007.01.29 LET'S ROCK!
早速、第2回目の更新!

オイラのROCK人生について・・・第1章

 物心ついて周りの子供たち(親戚や同級生)が「およげたいやき君」
のレコードを掛け、゛まぁ〜いにち〜♪゛と歌っていた頃、オイラは
オカンにねだって、世良正則&ツイストのレコードを買ってもらっていた・・・

 当時、病弱だったオイラはモヤシのようにひょろっこく、顔面蒼白だった。
 しかしながら、テレビから聞こえてきた世良さんの「あんたのバラード」の迫力とマイクパフォーマンスに憧れ、腹のそこから沸きあがるようなあの叫びに、ある意味羨ましさも手伝って、虜になった。

 初めて買ってもらったアルバムはレコード針を何度も変えなければいけなくなるほどよく聞いた。
 歌声も真似し、わざと大声を上げて喉も枯らした。

 「世良さんになりたい」・・・いつも願った。
まだ、小学生だったオイラは歌詞も理解できる年ではない。
病弱なオイラがあのパワフルさが欲しかったからだろう。

 もしかしたら、外見から真似れば(世良さんに)なれるかも・・・
ブルージーンズにスニーカー、白いブラウス、手にはサポーター、本当にマセガキだった。
後は髪形を残すのみ!。

 当時床屋なんてものは、クラスの半分位しか行っておらず、
オイラも髪が伸びると、オカンが風呂敷を首に巻いて切ってくれていた。
 「世良さんの髪型にしてっ」、熱狂的な世良さん信者を知っていたオカンは快く了解^^
 程なく首から解かれた風呂敷を片付け、鏡に写った自分の顔を見て驚愕!!

 世良さんのそれとは程遠く、「南田洋子」さんにそっくり!(泣)
ミックジャガーバリの肩まで伸びた、くしゃっとした髪型の世良さんに対し、オイラはキューティクルばっちり効いたサラサラヘヤーのショートボブ・・・^^;
 今で言う、ふかわりょうタイプ?

 あの時、オカンに噛み付いた嘆きは世良さんのように腹の底から
溢れ出るパワーに勝るとも劣らなかっただろう。
「うわぁぁぁぁっ!」

 ・・・以後、決して世良さんにはなろうと思わなかった・・・。

オカンはただただ、かわいいねぇと笑っていた・・・ 
本日ブログデビューしました、temmyeです。

 どうか宜しくお願いします。

文章を書くこと、日々思うことを書き連ねることはなかなか
厳しいと思いますが、「継続は力」と思って頑張りますっ!

 今現在は、ブログのこと何も分からない状態でいますので、
本当に独りよがりになっているとは思いますが、そのうち頑張ります。

 おいらが書くことは、普段生きてゆく上で思う素朴なな疑問、世の中の不思議、人の思い、そして時折母ちゃんのこと・・・
 こんなことをたっぷり偏見を交えて出して行きたいと思います。